中本誠司へのメッセージ/No.6

オマージュ 中本誠司/美術家 嶋本昭三

人間は生活する中でうまく処世していこうとする。
多くの人が処世に生きる中で自分たちの処世に都合のよい論理を編み出し、
それは人間本来の生き方を次第に変えていく。

さて芸術家とは絵を上手に描く事ではない。
彼らが表現する発想はあくまで個人からの発して処世の論理に走らず人間本来の生き方を示せる
のがアートです。
にも拘わらず不思議なことに世の中が平和になると、処世の論理が拡がって芸術家までもその渦に
巻き込まれてヨイショヨイショと処世をしてしまっています。

ところでぼくが最も尊敬しているアーティストとはと聞かれれば、パリに住むNATOをあげます。
例を上げるなら彼はパリ・ポンピドーセンターの前で僕の弟子の女の子を真っ裸にし、自分もヌードになって彼女をかついでパリの街中を走りました。行き着いたところは本屋さん。本を求めてやってきている客を押しのけて平積みにされている新刊本の売り場の上にドカッと彼女を降ろしてインスタレーションをしたのです。

処世など全く考えておりません。大騒ぎしないでこの芸術行為を見守るパリの人たちもエライがそれを見て見ぬふりをするパリ警察はもっとエライ!!

そのNATOがいった。今世界中に芸術家はいなくなった。みんなピューリタン(清教徒)のお嬢さんのようになって上品さを装って芸術家している。もう君や君の弟子のLOCO以外には世界から芸術家は消えてしまったと嘆く。

“いるいるNATOさん。嘆きなさんな。日本の仙台というところに中本誠司というアーティストがいます。NATOはん。あんた彼に会ったら自分が鏡を見ているのではないかと思うほどそっくりでびっくりしまっせ。”大阪弁で言ったわけではないが、中本誠司はそれに匹敵するアーティストなのだ。

もう10年以上前になるが中本誠司はデッカーイ犬2匹をワゴン車にのせて度々ぼくのところにやって来た。ぼくは催し物があったその夜、ぼくのところに泊めてくれという。

女の子もいっぱいいて男子は何故か泊めない方針を立てていた。これが嶋本昭三の哲学?なのだ。中本さんはこわいという。ぼくもこわい。しかし仙台ではいつも泊めてもらっている。そこでぼくは恐る恐る近くのホテル(といっても木賃宿だが)を取るからそこに泊まってくれと提案した。
「なーに嶋本さん。心配しないでくれよ。その変わりこの男の子を貸してくれよ」
どうぞどうぞ。男の子アーティストなら、煮ても喰っても焼いて喰ってもどうぞ”ととんでもない展覧会のリーダー嶋本昭三。若い男の子たちの心配など全然しないで、女性たちを2階に泊まらせて夜に弱いぼくは階下でグーグー寝てしまった。その変りぼくは朝は早い。中本誠司氏とぼくの男弟子たちは飲み明かしたかナと思って散歩がてらに外にでてみて驚いた。ぼくの家の前の3台の駐車場に中本誠司氏&ぼくの男弟子が何と川の字になって寝ていたのだ。

彼が自分で造ったという中本誠司個人美術館は装飾でいっぱいだ。ガウディとは違うが大阪弁で言うならコテコテガウディというところか、とにかくすごい。女の弟子たちをひきつれてやってきてこの美術館を見せたら、彼女たちは驚喜した。中本誠司氏はホヤ貝をいっぱいとってきた。彼女たちに手伝えという。ホヤ飯をごちそうしてくれるそうだ。歓声に包まれた。女の子たちに“まるで夢のよおだワ”と言って感謝された。

それから約30分、女の弟子たちは怒ってやってきた。“先生。何でこんなところに連れてきたのよ。今すぐ帰ります。”聞いてみると鍋の中に昨夜食べ残したものでも何でもかんでもほうり込んでいるという。“何をいうのだ。この中本誠司鍋を理解しなくてどうする。これこそ中本芸術の究極だ。しっかりと味わうように”全くスジが通っていないことをいって、ぼくはこっそり食べるのは少しだけにしたのだがそれでも腹をこわした。

その後NATOを招待する為に色々労をつくしたが、裸の巨匠の発表は日本中どこにいっても一言のもとに断られた。今にして思えば中本誠司個人美術館があったのだ。神戸大震災でぼくの家がめちゃくちゃになったり、心筋梗塞で手術を受けていたりしているうちに、中本誠司は亡くなった。もっとも尊敬する2人のバトルを実現する時期を失ってしまった。すんません、その代わり中本さんの分まで美女を追っかけまわしまっせ、じゃなかった、すごいアートを仙台で発信しまっせ!!

2002年1月10日 嶋本昭三

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